Vol.6

第2巻『京都魔王殿の謎』 リレーノート④
吉村達也



梶原さんが前回書いた二通りの楽しみ方

ひとつは、自分で真相を推理する楽しみ。
もうひとつは、作者にだまされる楽しみ。

この「作者にだまされる」という観点から、ぼくがよく言う「二回転半ひねり」のことについて、ちょっとふれておきたいと思います。



「二回半ひねり」というのは、なにも具体的なドンデン返しの回数を指しているのではありません。そもそも「二回ひねり」はわかるけど「半」はなんだよ、って話になりますしね(笑)。

これは「読者をだますためのドンデン返し」ではなく、作者の作者自身に対するアイデアのダメ出しの姿勢を表わしている言葉なの
です。



最初にパッと浮かんだアイデアというのは、いかに「これ最高!」「いままでにない!」と思っても、意外と読者の想定内だったりするんですね。誰でも最初に思いつく意外性は、意外じゃないんです。

だから、最初に浮かんだアイデアは、どんなにすごいと思えても、必ず練り直されなければならないと考えています。そして、練り直しても「まだないか」「まだほかにアイデアないか」と考えつづける。



これが私のいう「二回半ひねり」の正体……のようなものです。

ただ、そうは言っても、最初にパッと浮かんだアイデアは、たとえいろいろな欠点がすぐ見えたとしても、まずは「これ最高じゃん!」と自分でノって受け入れていけるぐらいのレベルであることが必要です。

「どうだかなあ」と自分で懐疑的になるような着想は、そもそも二回半ひねりの土台にすらならないので、即ボツです。



それから、ぼくは担当編集者に事前にあまり詳しいアイデアを話さないんです。

なぜかといえば、どんなアイデアも、それが翔んでる内容であればあるほど、欠点もすぐ目につくわけで、それはもう自分で最初からわかっている。

それを書きながら検討して修正したり、補強したりするわけで、第三者からみれば最初のアイデアはツッコミどころ満載です。でも、「これはちょっとアレなんじゃないんですか」と否定的見解を述べられると、こっちも言い訳からスタートする。それは作者と担当編集者の関係において、あまり好ましくないスタートラインなんですね。

最初から完璧にほころびのない構想をつくることは、発想の自由さをさまたげることにもなる。だからぼくは、欠点も多いけれど、とにかく面白い着想を大切にします。それを二回半ひねりの土台として、問題点を洗い出しながら、もっといいアイデアはないかと考えていくわけです。



ぼくがプロデビューしたてのころ――つまり、いまから20年以上前になりますが――新人のぼくについたベテランの担当さんが、こちらがトリックのアイデアを出すたびに、まず穴を見つけるところからはじめるので、すっかりブレーキがかかったことがあります。

これは一般企業の会議でもいえると思うんですが、アイデアをつぶすのはかんたん。むしろ大きく破綻していても、アイデアのいいところを伸ばす、まずはめちゃくちゃ面白がってみる、そういう姿勢が、とても大切だと思います。



ぼくは、担当編集者が第一の読者だと思っています。だから、担当編集者がまっさきにだまされてほしい。そういう意味で、本作が第一の読者である梶原さんから、心地よくだまされたと言ってもらえたのは、非常にうれしいですね。



とにかく『京都魔王殿の謎』は、旧作より一段深いところへ突っ込んでいきました。これによって、『京都魔王殿の謎』は『京都魔界伝説の女』とはまったく別の作品になりました。



あ、それから旧作にあった香港返還のシーンなどは、まったくありません。時代背景が違っていますので。舞台は2011年、秋の京都です。

Vol.5

第2巻『京都魔王殿の謎』 リレーノート③
梶原秀夫(株式会社ノアズブックス出版プロデューサー)



ミステリーの楽しみ方はひとそれぞれでしょうが、大きく分けて2つあると、よく言われます。

ひとつは、自分で真相を推理する楽しみ。
もうひとつは、作者にだまされる楽しみ。

僕はどちらかというと、後者のようです。物語の中に入り込んでいきたい読者タイプだからかもしれません。

この『京都魔王殿の謎』ではまさに、その楽しみを十二分に味わえました。骨太なミステリーは、作者にだまされる快感をもたらしてくれるものなのですね。


さらに、今回の『魔界百物語』シリーズは、ミステリーの醍醐味を思う存分味わえるだけでなく、僕にとっては聖橋博士の博学ぶりも楽しみのひとつです。

第1巻目の「捏造を完全排除した世界史の再構築」「全世界規模での人類史再構築」は、ぜひ読んでみたいと思いました。もちろん、吉村達也さんが書くのでしょうが……。

第2巻目では「どんな宗教にも善の部分と悪の部分があり、どんな人間にも善人の部分と悪人の部分がある」「心の中に善人と悪人がいっしょに住んでいる――それが人間の正体なんだ」と博士に言わせています。

深~い話で、これもさらに詳しく知りたくなってきます。


「人の一生を最後の最後まで幸せにする要素は、たったひとつしかない」と迎奈津実に言う博士。答えは「好奇心」と聞いて、思わず納得したのは僕だけではないでしょう。


ミステリーの王道をいきながら、こうした蘊蓄を楽しめるというのも、吉村達也ならではのことだと思います。

たとえば――
この本を読み終わったとき、京都魔界案内人の一柳次郎に京都魔界ツアーを案内してもらいたい、と思いませんでしたか……。

京都魔界ツアー⑧

⑧浮かび上がる淀君の怨霊
















方広寺の鐘は、ふだんは真下まで立ち入ることはできない。だが、15年前に実際に行なわれた魔界ツアーでは、鐘の真下まで入らせてもらうことができた。

そのときの松木さんのガイドさながらに、作中では魔界案内人・一柳次郎がこう語るのだ。



「みなさん、淀君はごぞんじですね。そうです、秀吉の側室であった女性で、秀頼を産んだことで権勢を握るのですが、大坂の陣の敗戦で、我が子秀頼とともに自刃いたしました。

その淀君の亡霊の姿が、この鐘の裏側に浮かび上がっているのです。

ふだんは柵に囲まれており、中には入れないのですが、本日は鹿堂妃楚香先生が淀君の浮かばれぬ霊を慰めてくださいますので、特別に開けていただき、私たちは鐘の真下までもぐりこんで観賞できるのです。さあ、それでは鹿堂先生といっしょに、中に入りましょう」



写真の白い円で囲んだ部分に、なるほど淀君の横顔が浮かび上がっているではないか……。