⑰「苦」を抜く釘抜地蔵
釘抜地蔵(くぎぬき・じぞう)は、正式名称を石像寺(しゃくぞうじ)という。
前世の罪を背負って手の病に苦しんでいた商人が、地蔵菩薩によって、その手のひらから二本の釘を引き抜いてもらい、苦しみから解放された――
といういわれに従い、いつもここには、なんらかの苦しみを背負った人々が、魔界からの脱出を願って訪れる。
写真は、釘抜地蔵特有の絵馬で、二本の釘と釘抜きがセットになった、かなり手の込んだものとなっている。
京都魔界ツアー⑯
⑯伏見稲荷の千本鳥居
京都の主要観光地は、新幹線・在来線の線路で南北に分けられる京都駅の北側に集中している。
現在の鉄道線路は、九条まであった平安京・東西路の、七条と八条のあいだを走っている。だから古都がらみのビュースポットが駅の北側に集中するのは必然だ。
最高権力者の住まいである内裏(だいり)も、平安京の最北端にあった。
そんなわけで、京都観光といえば、なにかと駅の北側へ目が向きがちだが、南側にも見どころはいろいろある。
その代表的存在が伏見稲荷大社。全国数万の稲荷神社の総本社である。
ここは稲荷山全体が信仰の場所となっており、山頂に向かう参道には、ごらんのとおり朱塗りの鳥居が延々とつづいている。
千本鳥居というが、実際には五千基以上ある。
この朱塗りの中に入ると、なんとも不思議な雰囲気である。
ぼくは四季の中では冬の伏見稲荷が好きだ。最寄り駅から境内に向けて連なる店々の軒先から、スズメを焼いている煙が立ちのぼっているが、それがいちばん似合うのが冬の時期だからかもしれない。
稲荷(いなり)は「稲成り」からきていると言われるように、日本人の主食である稲(=コメ)の豊作を祈願するために秦氏(はたし)がこれを創建したと伝えられる。
したがって稲を食い荒らすスズメは、あわれ焼き鳥のターゲットにされるのであった。スズメにとっては、じつに迷惑な話である。
京都魔界ツアー⑮
⑮奥の院魔王殿
これが奥の院魔王殿。
京都には魔界スポットがいろいろあるけれど、これほどミステリアスな名前の建物は珍しい。
しかも、このいわれというのが、650万年前に金星からやってきた護法魔王尊をお祀りしてある、というのだから、時空間的スケールの大きさでは日本一だろう。
650万年前で、しかも金星から飛来!
最初にそれを言い出した方の大胆さに敬意を表したい。
第2作のタイトルにもってきたのは当然、というところですね。
京都魔界ツアー⑭
⑭鞍馬山の木の根道
魔王殿の写真の前に、そこへ至る雰囲気をつかんでいただくための写真を入れておこう。
貴船とは逆に、鞍馬山の頂上側から降りてくると、奥の院魔王殿に行き着く前に、こうした木の根道に出会う。
貴船とは逆に、鞍馬山の頂上側から降りてくると、奥の院魔王殿に行き着く前に、こうした木の根道に出会う。
ぼやっとして歩いていると、つまさきを引っかけて転びかねない。
なかなかに不気味な光景である。
これは貴船側からのアプローチ。魔王殿のほうを背に、登ってきた貴船方向をふり返って撮影。一部は、かなり急坂のところもある。
鴨下警部はここを革靴で登っていったことになるが、雪が降りはじめては、なかなか足もとが大変だったはずである。
鴨下警部はここを革靴で登っていったことになるが、雪が降りはじめては、なかなか足もとが大変だったはずである。
京都魔界ツアー⑬
⑬貴船口から鞍馬山へ
『京都魔王殿の謎』の中盤すぎたあたりで、京都府警の鴨下警部が、地元消防団を集めて鞍馬山へ向かうシーンがある。
その集合場所がここである。
貴船(きぶね―「KIFUNE」ではなく「KIBUNE」と濁ります)と鞍馬(くらま)は、ともに京都市の北部にあり、叡山(えいざん)電鉄の貴船口駅から道路が二股に分かれ、左へ行くと貴船、右へ行くと鞍馬となる。
電車は鞍馬のほうへ向かう。
この写真は、鞍馬山から貴船側へ降りてきたところ。作中の捜索隊は、雪が降りはじめる中、逆にこの朱色の橋を渡って山へ登っていくのである。
作品の題名にもなった魔王殿の写真は次回に。
『京都魔王殿の謎』の中盤すぎたあたりで、京都府警の鴨下警部が、地元消防団を集めて鞍馬山へ向かうシーンがある。
その集合場所がここである。
貴船(きぶね―「KIFUNE」ではなく「KIBUNE」と濁ります)と鞍馬(くらま)は、ともに京都市の北部にあり、叡山(えいざん)電鉄の貴船口駅から道路が二股に分かれ、左へ行くと貴船、右へ行くと鞍馬となる。
電車は鞍馬のほうへ向かう。
この写真は、鞍馬山から貴船側へ降りてきたところ。作中の捜索隊は、雪が降りはじめる中、逆にこの朱色の橋を渡って山へ登っていくのである。
作品の題名にもなった魔王殿の写真は次回に。
京都魔界ツアー⑫
⑫声明の寺
宝泉院は勝林院とともに天台声明(てんだい・しょうみょう)を伝える地でもある。
声明とは教典に独自の節回しをつけたもので、西洋のグレゴリオ聖歌に相当する無伴奏の宗教音楽と呼んでいいだろう。
ただし、最近ではこれにさまざまな楽器が添えられ、ときにはジャズとのコラボも行なわれる。
声明は大きく分けて天台声明と真言声明があり、前者は京都の大原が拠点で、後者は高野山ほか、いくつかの分派がある。
youtubeで、どちらの声明も聞けるし、コンサートも定期的に行なわれている。ぼくも、かつてサントリーホールで行なわれた声明を聴きに行ったが、心地よすぎて爆睡してしまった。
立川談志師匠は、客席で寝ていた客に怒って高座を中断したが、声明は寝ても怒られないだろう。それそのものが心の癒やしだからだ。
西洋式の五線譜には決して転写できない独特の旋律は、たしかに深い深い瞑想の世界に導いてくれるのだ。
なお、写真はサヌカイトで作られ石琴。石が美しい響きを奏でるのは感動だ。
宝泉院は勝林院とともに天台声明(てんだい・しょうみょう)を伝える地でもある。
声明とは教典に独自の節回しをつけたもので、西洋のグレゴリオ聖歌に相当する無伴奏の宗教音楽と呼んでいいだろう。
ただし、最近ではこれにさまざまな楽器が添えられ、ときにはジャズとのコラボも行なわれる。
声明は大きく分けて天台声明と真言声明があり、前者は京都の大原が拠点で、後者は高野山ほか、いくつかの分派がある。
youtubeで、どちらの声明も聞けるし、コンサートも定期的に行なわれている。ぼくも、かつてサントリーホールで行なわれた声明を聴きに行ったが、心地よすぎて爆睡してしまった。
立川談志師匠は、客席で寝ていた客に怒って高座を中断したが、声明は寝ても怒られないだろう。それそのものが心の癒やしだからだ。
西洋式の五線譜には決して転写できない独特の旋律は、たしかに深い深い瞑想の世界に導いてくれるのだ。
なお、写真はサヌカイトで作られ石琴。石が美しい響きを奏でるのは感動だ。
京都魔界ツアー⑪
こちらは大原の宝泉院。天台声明(しょうみょう)発祥の地である勝林院の塔頭(たっちゅう)だ。
そして、こちらもまた窓越しに美しい緑の竹林が眺められる廊下の天井に……。
血天井である。
写真には写り込んでいないが、こちらの血天井には「武将の顔」(にみえるもの)が染みついている。
京都魔界ツアー⑩
⑩源光庵の血天井
癒やしの空間に思える源光庵の「悟りの窓」と「迷いの窓」。
そこでふと天井を見上げると、こんなものが目に飛び込んでくる。
見よ、血に彩られた足跡を!
「血天井」である。
話は400年以上前に遡る。
天下取りまであと少しのところにきていた徳川家康の臣であった鳥井元忠は、家康が会津に遠征しているあいだ、京都伏見にある、かつては秀吉の隠居用の城であり、地震倒壊後、再建された伏見城の守備を命じられた。
これが彼の運の尽き。
家康の留守を狙って小早川秀秋らの軍勢が襲いかかり、城は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。城のいたるところに死者累々。しかもそれらは長時間放置されたために、こうした足跡のみならず、顔面や鎧の跡までが染みついてしまった。
これら死者の霊を弔うため、伏見城の廊下板ははがされ、この源光庵をはじめとするいくつかの寺院の天井にはめ込まれ、日々、読経を受けることとなった。
天井にはめ込んだのは、死者の霊を踏むようなことがあってはいけないからである。
だが、この血天井を見上げると、あるイメージを思い浮かべざるを得ない。
天地逆さになって、この天井を怒号を上げながら駆け回る武士たちの姿である。
なお、伏見城はその後、もういちど再興されたが、ほどなく廃城となり、その跡地に桃が植えられた。現在の明治天皇陵。
京都魔界ツアー⑨
⑨源光庵「悟りの窓」と「迷いの窓」
金閣寺から送り火で知られる衣笠の大文字山(11/8/16のメインブログ参照)をはさんで、まっすぐ北に1700mほどいったところに、源光庵がある。
左の円い窓が「悟りの窓」で、右の四角い窓が「迷いの窓」
CMやポスター写真でもおなじみなのでごらんになった方も多いと思う。
円と四角の額縁にに切り取られた四季折々の風景は、まるで絵画のよう。
さて、この心癒される風景が印象的な曹洞宗の寺院がなぜ魔界かという話は次回に。
京都魔界ツアー⑧
⑧浮かび上がる淀君の怨霊
方広寺の鐘は、ふだんは真下まで立ち入ることはできない。だが、15年前に実際に行なわれた魔界ツアーでは、鐘の真下まで入らせてもらうことができた。
そのときの松木さんのガイドさながらに、作中では魔界案内人・一柳次郎がこう語るのだ。
「みなさん、淀君はごぞんじですね。そうです、秀吉の側室であった女性で、秀頼を産んだことで権勢を握るのですが、大坂の陣の敗戦で、我が子秀頼とともに自刃いたしました。
その淀君の亡霊の姿が、この鐘の裏側に浮かび上がっているのです。
ふだんは柵に囲まれており、中には入れないのですが、本日は鹿堂妃楚香先生が淀君の浮かばれぬ霊を慰めてくださいますので、特別に開けていただき、私たちは鐘の真下までもぐりこんで観賞できるのです。さあ、それでは鹿堂先生といっしょに、中に入りましょう」
写真の白い円で囲んだ部分に、なるほど淀君の横顔が浮かび上がっているではないか……。
京都魔界ツアー⑦
⑦方広寺「国家安康」の鐘
三十三間堂のすぐ北が京都国立博物館、そしてその北隣にあるのが方広寺。
ここにある大きな梵鐘は「国家安康」の銘が刻まれていることで知られている。それに関するエピソードはつぎのとおり。(11月発売『京都魔王殿の謎』より抜粋)
「秀吉の死後、豊臣政権は崩壊し、徳川家康が天下統一をはたして江戸幕府が開かれたわけですが、それでもなお家康は、豊臣家の逆襲を警戒しつづけておりました。(中略)
そんな家康の不安を察した側近の儒学者・林羅山と禅僧の以心崇伝が画策して、方広寺の梵鐘にとんでもないイチャモンをつけました。(中略)
この梵鐘に刻まれた銘文の中に『国家安康』『君臣豊楽(くんしんほうらく)』という言葉があるのに林羅山らは目をつけ、『国家安康』は家康の『家』と『康』を分断したものであり、『君臣豊楽』は豊臣家の繁栄を祈って、徳川家の凋落を望むものだとして、豊臣家に対して難癖をつけたんですね。
そして、そこからはじまる徳川家対豊臣家の対立が、やがて大坂冬の陣から夏の陣を引き起こし、ついには豊臣家の滅亡となってしまうのです」
上記の写真は15年前の1996年10月に実際に京都で行なわれた魔界ツアーの一場面(カッパノベルス版掲載写真より)。
中央、メガネをかけておられるのが「魔界案内人」と称してこのツアーのガイドをなさった松木さん。そう、「魔界百物語」に登場する魔界案内人・一柳次郎のモデルである。
三十三間堂のすぐ北が京都国立博物館、そしてその北隣にあるのが方広寺。
ここにある大きな梵鐘は「国家安康」の銘が刻まれていることで知られている。それに関するエピソードはつぎのとおり。(11月発売『京都魔王殿の謎』より抜粋)
「秀吉の死後、豊臣政権は崩壊し、徳川家康が天下統一をはたして江戸幕府が開かれたわけですが、それでもなお家康は、豊臣家の逆襲を警戒しつづけておりました。(中略)
そんな家康の不安を察した側近の儒学者・林羅山と禅僧の以心崇伝が画策して、方広寺の梵鐘にとんでもないイチャモンをつけました。(中略)
この梵鐘に刻まれた銘文の中に『国家安康』『君臣豊楽(くんしんほうらく)』という言葉があるのに林羅山らは目をつけ、『国家安康』は家康の『家』と『康』を分断したものであり、『君臣豊楽』は豊臣家の繁栄を祈って、徳川家の凋落を望むものだとして、豊臣家に対して難癖をつけたんですね。
そして、そこからはじまる徳川家対豊臣家の対立が、やがて大坂冬の陣から夏の陣を引き起こし、ついには豊臣家の滅亡となってしまうのです」
上記の写真は15年前の1996年10月に実際に京都で行なわれた魔界ツアーの一場面(カッパノベルス版掲載写真より)。
中央、メガネをかけておられるのが「魔界案内人」と称してこのツアーのガイドをなさった松木さん。そう、「魔界百物語」に登場する魔界案内人・一柳次郎のモデルである。
京都魔界ツアー⑤
⑤ 珍皇寺の迎え鐘
ここはお盆の時期に「お精霊さん(おしょらいさん)」と呼ばれる先祖の霊をお迎えする行事が行なわれる。だから、ふつうの寺の違って、撞木をついて鐘を鳴らすのではなく、撞木に取り付けられた綱を引いて鳴らす。
京都魔界ツアー④
④ 六道珍皇寺
一般には「ろくどう・ちんのうじ」と呼ばれるが、直接お寺の方にたずねたところ「ちんこうじ」と呼んでいるとのこと。
『京都魔王殿の謎』では、ここが魔界ツアーの第一スポットとなる。小野篁が夜な夜な、珍皇寺の井戸から冥界へ降りていって、閻魔大王の書記を務めたという伝説がある。
石碑にある「六道之辻」とは、ここが冥界との境界線を意味しているものでもある。
京都魔界ツアー③
③ 京都駅外「石の博物館」
多くの通行人があっさり通り過ぎ、ここに注目する人はきわめて少ない。京都駅中央口を出た真ん前に、新しい京都駅に使われている世界の石の標本が、こうやって何本かの柱の周りに飾られている。
だが多くの人は、これをたんなるデザインだと思っているようだ。
京都魔界ツアー①
はじめに
「魔界百物語」第2弾の『京都魔王殿の謎』では、美しすぎる超能力者・鹿堂妃楚香の主催による京都魔界ツアーが展開します。
「魔界百物語」第2弾の『京都魔王殿の謎』では、美しすぎる超能力者・鹿堂妃楚香の主催による京都魔界ツアーが展開します。
このカテゴリーでは、みなさんにもそのツアーに参加していただいた気分になって、京都の魔界をご案内します。
写真は少しずつ、何日おきかに足していきますので、ときどきチェックしてみてください。きっと、第2巻をお読みになるときの臨場感が増すはずです。
① 京都タワー
京都駅に降り立った観光客は、必ずこの京都タワーをカメラに収めるのは間違いない。しかし、方角のことまでは意識しないだろう。
京都駅を背にして、京都タワーを見たとき、あなたは北の方角を向いている。それだけではない。京都駅から北へ延びている烏丸通(からすまどおり)はほぼ正確に真北を指している。
ということは、それと直角に交わる横の通りもまた、ほぼ正確に東西を指していることになる。
京都中心部の道路が碁盤の目になっていることは地図で見れば明らかだが、それがきっちり東西南北に沿って走っているというところが重要だ。
つまり京都とは、街じたいが磁石になっているといってよい。だから、古来より風水の思想によって都は支配されてきた。
登録:
投稿 (Atom)

















