Vol.7

2つの顔を持つ吉村達也!? リレーノート⑤
梶原秀夫(ノアズブックス出版プロデューサー)



突然、変な表題ですが、別に吉村さんがジキルとハイドというわけではありません。

ただ、吉村さんと仕事をした編集者は、2人の「吉村達也」と出会うのではないでしょうか。

ひとりは作家の吉村達也、もうひとりはプロデューサーの吉村達也——。



もちろん、どちらも吉村さんの実像なのですが、どうも打ち合わせをしているときの吉村達也は、作家というよりプロデューサーのような気がしてしかたがありません。

自分が作者なのに、まるでプロデューサーのような発言をするときがあります。たとえば……



「こういう文学的な表現は、作家・吉村達也には合わないよね」

「作家・吉村達也がラジオやテレビに出るのは、やめたほうがいいと思ってる。元いた職場だから、なにを求められているかがわかりすぎて、つい、サービス精神を出しすぎて、よけいなことをしゃべってしまいそうで、パブリシティには逆効果」

「この内容でいきましょう。大丈夫、書かせますよ、作家の吉村達也に」

「英語に翻訳するなら、それなりに日本語を書き直さないとダメだと思う。作家としては大変だけど、いまの小説をそのまま英訳しても伝わらないし」



……などなど、実際に吉村さんがこの通りに話したわけではありませんが、とてもプロデューサー感覚にすぐれた人であることは確かです。

そんな吉村さんだから、企画の話をしているときは本当に楽しい。あっという間に時間がたってしまいます。吉村達也の頭の中は、ほんと、アイディアの宝庫です。

面白い企画はいくつもあります。テレビ局の人間に盗まれた企画もありました。僕の力が及ばず実現できなかった企画もあります。まだ発表できない企画も……。



そして、僕はもうひとつの吉村さんの顔も知っています。それは、マジシャンとしての吉村達也。これも凄い!

あっ、まだあります。とても剽軽なほろ酔い気分の吉村達也。これは楽しい!

どの顔も、みんな吉村達也その人——。



このプロダクションノートで、いろいろな吉村達也を紹介したいと思います。もちろん、本人の了解をとったうえですけど。

京都魔界ツアー⑮

⑮奥の院魔王殿


これが奥の院魔王殿。

京都には魔界スポットがいろいろあるけれど、これほどミステリアスな名前の建物は珍しい。

しかも、このいわれというのが、650万年前に金星からやってきた護法魔王尊をお祀りしてある、というのだから、時空間的スケールの大きさでは日本一だろう。

650万年前で、しかも金星から飛来!




最初にそれを言い出した方の大胆さに敬意を表したい。

第2作のタイトルにもってきたのは当然、というところですね。


京都魔界ツアー⑭

⑭鞍馬山の木の根道

魔王殿の写真の前に、そこへ至る雰囲気をつかんでいただくための写真を入れておこう。

貴船とは逆に、鞍馬山の頂上側から降りてくると、奥の院魔王殿に行き着く前に、こうした木の根道に出会う。

ぼやっとして歩いていると、つまさきを引っかけて転びかねない。

なかなかに不気味な光景である。

これは貴船側からのアプローチ。魔王殿のほうを背に、登ってきた貴船方向をふり返って撮影。一部は、かなり急坂のところもある。

鴨下警部はここを革靴で登っていったことになるが、雪が降りはじめては、なかなか足もとが大変だったはずである。





京都魔界ツアー⑬

⑬貴船口から鞍馬山へ

























『京都魔王殿の謎』の中盤すぎたあたりで、京都府警の鴨下警部が、地元消防団を集めて鞍馬山へ向かうシーンがある。

その集合場所がここである。

貴船(きぶね―「KIFUNE」ではなく「KIBUNE」と濁ります)と鞍馬(くらま)は、ともに京都市の北部にあり、叡山(えいざん)電鉄の貴船口駅から道路が二股に分かれ、左へ行くと貴船、右へ行くと鞍馬となる。

電車は鞍馬のほうへ向かう。



この写真は、鞍馬山から貴船側へ降りてきたところ。作中の捜索隊は、雪が降りはじめる中、逆にこの朱色の橋を渡って山へ登っていくのである。

作品の題名にもなった魔王殿の写真は次回に。

京都魔界ツアー⑫

⑫声明の寺





















宝泉院は勝林院とともに天台声明(てんだい・しょうみょう)を伝える地でもある。

声明とは教典に独自の節回しをつけたもので、西洋のグレゴリオ聖歌に相当する無伴奏の宗教音楽と呼んでいいだろう。

ただし、最近ではこれにさまざまな楽器が添えられ、ときにはジャズとのコラボも行なわれる。



声明は大きく分けて天台声明と真言声明があり、前者は京都の大原が拠点で、後者は高野山ほか、いくつかの分派がある。

youtubeで、どちらの声明も聞けるし、コンサートも定期的に行なわれている。ぼくも、かつてサントリーホールで行なわれた声明を聴きに行ったが、心地よすぎて爆睡してしまった。

立川談志師匠は、客席で寝ていた客に怒って高座を中断したが、声明は寝ても怒られないだろう。それそのものが心の癒やしだからだ。

西洋式の五線譜には決して転写できない独特の旋律は、たしかに深い深い瞑想の世界に導いてくれるのだ。



なお、写真はサヌカイトで作られ石琴。石が美しい響きを奏でるのは感動だ。

京都魔界ツアー⑪

⑪大原宝泉院の血天井

こちらは大原の宝泉院。天台声明(しょうみょう)発祥の地である勝林院の塔頭(たっちゅう)だ。

そして、こちらもまた窓越しに美しい緑の竹林が眺められる廊下の天井に……。

血天井である。


写真には写り込んでいないが、こちらの血天井には「武将の顔」(にみえるもの)が染みついている。

京都魔界ツアー⑩

⑩源光庵の血天井



癒やしの空間に思える源光庵の「悟りの窓」と「迷いの窓」。

そこでふと天井を見上げると、こんなものが目に飛び込んでくる。

見よ、血に彩られた足跡を!

「血天井」である。



話は400年以上前に遡る。

天下取りまであと少しのところにきていた徳川家康の臣であった鳥井元忠は、家康が会津に遠征しているあいだ、京都伏見にある、かつては秀吉の隠居用の城であり、地震倒壊後、再建された伏見城の守備を命じられた。

これが彼の運の尽き。

家康の留守を狙って小早川秀秋らの軍勢が襲いかかり、城は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。城のいたるところに死者累々。しかもそれらは長時間放置されたために、こうした足跡のみならず、顔面や鎧の跡までが染みついてしまった。



これら死者の霊を弔うため、伏見城の廊下板ははがされ、この源光庵をはじめとするいくつかの寺院の天井にはめ込まれ、日々、読経を受けることとなった。

天井にはめ込んだのは、死者の霊を踏むようなことがあってはいけないからである。



だが、この血天井を見上げると、あるイメージを思い浮かべざるを得ない。

天地逆さになって、この天井を怒号を上げながら駆け回る武士たちの姿である。



なお、伏見城はその後、もういちど再興されたが、ほどなく廃城となり、その跡地に桃が植えられた。現在の明治天皇陵。






京都魔界ツアー⑨

⑨源光庵「悟りの窓」と「迷いの窓」



金閣寺から送り火で知られる衣笠の大文字山(11/8/16のメインブログ参照)をはさんで、まっすぐ北に1700mほどいったところに、源光庵がある。

左の円い窓が「悟りの窓」で、右の四角い窓が「迷いの窓」

CMやポスター写真でもおなじみなのでごらんになった方も多いと思う。



円と四角の額縁にに切り取られた四季折々の風景は、まるで絵画のよう。

さて、この心癒される風景が印象的な曹洞宗の寺院がなぜ魔界かという話は次回に。

Vol.6

第2巻『京都魔王殿の謎』 リレーノート④
吉村達也



梶原さんが前回書いた二通りの楽しみ方

ひとつは、自分で真相を推理する楽しみ。
もうひとつは、作者にだまされる楽しみ。

この「作者にだまされる」という観点から、ぼくがよく言う「二回転半ひねり」のことについて、ちょっとふれておきたいと思います。



「二回半ひねり」というのは、なにも具体的なドンデン返しの回数を指しているのではありません。そもそも「二回ひねり」はわかるけど「半」はなんだよ、って話になりますしね(笑)。

これは「読者をだますためのドンデン返し」ではなく、作者の作者自身に対するアイデアのダメ出しの姿勢を表わしている言葉なの
です。



最初にパッと浮かんだアイデアというのは、いかに「これ最高!」「いままでにない!」と思っても、意外と読者の想定内だったりするんですね。誰でも最初に思いつく意外性は、意外じゃないんです。

だから、最初に浮かんだアイデアは、どんなにすごいと思えても、必ず練り直されなければならないと考えています。そして、練り直しても「まだないか」「まだほかにアイデアないか」と考えつづける。



これが私のいう「二回半ひねり」の正体……のようなものです。

ただ、そうは言っても、最初にパッと浮かんだアイデアは、たとえいろいろな欠点がすぐ見えたとしても、まずは「これ最高じゃん!」と自分でノって受け入れていけるぐらいのレベルであることが必要です。

「どうだかなあ」と自分で懐疑的になるような着想は、そもそも二回半ひねりの土台にすらならないので、即ボツです。



それから、ぼくは担当編集者に事前にあまり詳しいアイデアを話さないんです。

なぜかといえば、どんなアイデアも、それが翔んでる内容であればあるほど、欠点もすぐ目につくわけで、それはもう自分で最初からわかっている。

それを書きながら検討して修正したり、補強したりするわけで、第三者からみれば最初のアイデアはツッコミどころ満載です。でも、「これはちょっとアレなんじゃないんですか」と否定的見解を述べられると、こっちも言い訳からスタートする。それは作者と担当編集者の関係において、あまり好ましくないスタートラインなんですね。

最初から完璧にほころびのない構想をつくることは、発想の自由さをさまたげることにもなる。だからぼくは、欠点も多いけれど、とにかく面白い着想を大切にします。それを二回半ひねりの土台として、問題点を洗い出しながら、もっといいアイデアはないかと考えていくわけです。



ぼくがプロデビューしたてのころ――つまり、いまから20年以上前になりますが――新人のぼくについたベテランの担当さんが、こちらがトリックのアイデアを出すたびに、まず穴を見つけるところからはじめるので、すっかりブレーキがかかったことがあります。

これは一般企業の会議でもいえると思うんですが、アイデアをつぶすのはかんたん。むしろ大きく破綻していても、アイデアのいいところを伸ばす、まずはめちゃくちゃ面白がってみる、そういう姿勢が、とても大切だと思います。



ぼくは、担当編集者が第一の読者だと思っています。だから、担当編集者がまっさきにだまされてほしい。そういう意味で、本作が第一の読者である梶原さんから、心地よくだまされたと言ってもらえたのは、非常にうれしいですね。



とにかく『京都魔王殿の謎』は、旧作より一段深いところへ突っ込んでいきました。これによって、『京都魔王殿の謎』は『京都魔界伝説の女』とはまったく別の作品になりました。



あ、それから旧作にあった香港返還のシーンなどは、まったくありません。時代背景が違っていますので。舞台は2011年、秋の京都です。

Vol.5

第2巻『京都魔王殿の謎』 リレーノート③
梶原秀夫(株式会社ノアズブックス出版プロデューサー)



ミステリーの楽しみ方はひとそれぞれでしょうが、大きく分けて2つあると、よく言われます。

ひとつは、自分で真相を推理する楽しみ。
もうひとつは、作者にだまされる楽しみ。

僕はどちらかというと、後者のようです。物語の中に入り込んでいきたい読者タイプだからかもしれません。

この『京都魔王殿の謎』ではまさに、その楽しみを十二分に味わえました。骨太なミステリーは、作者にだまされる快感をもたらしてくれるものなのですね。


さらに、今回の『魔界百物語』シリーズは、ミステリーの醍醐味を思う存分味わえるだけでなく、僕にとっては聖橋博士の博学ぶりも楽しみのひとつです。

第1巻目の「捏造を完全排除した世界史の再構築」「全世界規模での人類史再構築」は、ぜひ読んでみたいと思いました。もちろん、吉村達也さんが書くのでしょうが……。

第2巻目では「どんな宗教にも善の部分と悪の部分があり、どんな人間にも善人の部分と悪人の部分がある」「心の中に善人と悪人がいっしょに住んでいる――それが人間の正体なんだ」と博士に言わせています。

深~い話で、これもさらに詳しく知りたくなってきます。


「人の一生を最後の最後まで幸せにする要素は、たったひとつしかない」と迎奈津実に言う博士。答えは「好奇心」と聞いて、思わず納得したのは僕だけではないでしょう。


ミステリーの王道をいきながら、こうした蘊蓄を楽しめるというのも、吉村達也ならではのことだと思います。

たとえば――
この本を読み終わったとき、京都魔界案内人の一柳次郎に京都魔界ツアーを案内してもらいたい、と思いませんでしたか……。

京都魔界ツアー⑧

⑧浮かび上がる淀君の怨霊
















方広寺の鐘は、ふだんは真下まで立ち入ることはできない。だが、15年前に実際に行なわれた魔界ツアーでは、鐘の真下まで入らせてもらうことができた。

そのときの松木さんのガイドさながらに、作中では魔界案内人・一柳次郎がこう語るのだ。



「みなさん、淀君はごぞんじですね。そうです、秀吉の側室であった女性で、秀頼を産んだことで権勢を握るのですが、大坂の陣の敗戦で、我が子秀頼とともに自刃いたしました。

その淀君の亡霊の姿が、この鐘の裏側に浮かび上がっているのです。

ふだんは柵に囲まれており、中には入れないのですが、本日は鹿堂妃楚香先生が淀君の浮かばれぬ霊を慰めてくださいますので、特別に開けていただき、私たちは鐘の真下までもぐりこんで観賞できるのです。さあ、それでは鹿堂先生といっしょに、中に入りましょう」



写真の白い円で囲んだ部分に、なるほど淀君の横顔が浮かび上がっているではないか……。

Vol.4

第2巻『京都魔王殿の謎』 リレーノート②
吉村達也



小説は作者の手を離れた瞬間、読者個人個人の感性や人生経験によって、オリジナルの作品に変貌する、というのが、かねてからのぼくの持論です。

同じ小説を10人が読めば、10通りの受け止め方があり、たった1個の作品が10の作品に増殖する。これが小説の(映画もそうです)面白いところです。

本プロジェクトのプロデューサーである梶原さんのリレーノートを読んで、「ああ、なるほど。この作品は純愛という視点から捉えることもできるのか」と、作者としてはじめて気づいた(笑)のも、同じ理屈です。



『京都魔王殿の謎』には、きわだって対照的なふたつの愛が出てきます。

ひとつは相手を真摯に思う愛です。しかし、もうひとつは、きわめて自己中心的で、相手の都合を考えずに、自分ひとりで勝手に爆走する「ゆがんだ愛」です。

しかも強烈なゆがみ方です。

小説の世界だけでなく、現実でも、この手の愛がいちばん危険なんです。

そう思われませんか?



作者は、このゆがんだ一方的な愛のすさまじさをミステリーの主軸に置いて書いたのですが、はからずもそれが、もうひとつのピュアな愛を相対的に浮かび上がらせる効果を生んだのかもしれないな、と、梶原プロデューサーのノートを読んでそう思いました。



本作は、『京都魔界伝説の女』がベースになっていますが、決定的に違うのが、事件を引き起こした心理のすさまじさのレベルです。それによって、旧作を読んだ方も驚く、まったく新しい結末が生まれました。



《事件の真相は 人間の想像を超えていた!》



これが第2巻のオビキャッチですが、旧作を発表した当時といまとでは、現実社会における人心の屈折度は較べものになりません。

その変化を登場人物にも投影したところ、新たなる驚愕の真相が必然的に浮かび上がってきた、というわけです。



旧作の「怨念度」を★★★とすれば、完全に新規で書き直した本作の怨念度は★★★★★といったところでしょうか。

氷室想介が21世紀に再登場した意味を強く感じさせる作品になったのではないかと思います。

京都魔界ツアー⑦

⑦方広寺「国家安康」の鐘


























三十三間堂のすぐ北が京都国立博物館、そしてその北隣にあるのが方広寺。

ここにある大きな梵鐘は「国家安康」の銘が刻まれていることで知られている。それに関するエピソードはつぎのとおり。(11月発売『京都魔王殿の謎』より抜粋)



「秀吉の死後、豊臣政権は崩壊し、徳川家康が天下統一をはたして江戸幕府が開かれたわけですが、それでもなお家康は、豊臣家の逆襲を警戒しつづけておりました。(中略)

そんな家康の不安を察した側近の儒学者・林羅山と禅僧の以心崇伝が画策して、方広寺の梵鐘にとんでもないイチャモンをつけました。(中略)

この梵鐘に刻まれた銘文の中に『国家安康』『君臣豊楽(くんしんほうらく)』という言葉があるのに林羅山らは目をつけ、『国家安康』は家康の『家』と『康』を分断したものであり、『君臣豊楽』は豊臣家の繁栄を祈って、徳川家の凋落を望むものだとして、豊臣家に対して難癖をつけたんですね。

そして、そこからはじまる徳川家対豊臣家の対立が、やがて大坂冬の陣から夏の陣を引き起こし、ついには豊臣家の滅亡となってしまうのです」



上記の写真は15年前の1996年10月に実際に京都で行なわれた魔界ツアーの一場面(カッパノベルス版掲載写真より)。

中央、メガネをかけておられるのが「魔界案内人」と称してこのツアーのガイドをなさった松木さん。そう、「魔界百物語」に登場する魔界案内人・一柳次郎のモデルである。




Vol.03

第2巻『京都魔王殿の謎』 リレーノート①
梶原秀夫(ノアズブックス 出版プロデューサー)



最終校正で、四度目の読み返し。ここでは、一気に読むことを心がけました。

誤字脱字を見つけるのも重要なことですが、物語の中に入り込んで読んでみたのです。一読者の立場になって。

グイグイと物語の面白さに引っ張られていきます。いったい、どんな事件が起こるのか……。

吉村達也氏が仕掛けたトリック、その意外な展開と結末は、間違いなく読者の想像を超えていると思います。これぞまさに、ミステリーの王道です。

加えて、ドラマ性にも注目です。ネタバレにならないと思いますので、結論だけ言うと、このミステリーは素晴らしい純愛の物語に仕上がっているのです。

改めて、吉村達也ミステリー・ワールドの面白さを実感しました。

校正も終わり、印刷に入った第2弾『京都魔王殿の謎』は、14日に取次へ見本を持っていき配本部数が正式決定、18日に取次へ搬入、全国の書店へと配本されます。

首都圏の大型書店では19日、全国的には21日の書店店頭に並びます。楽しみに待っていてください。

発売前に、プロダクション・ノートVol.3を書いたのは、ひと言だけ伝えたかったからです。これは「純愛の物語だ」と。