⑩源光庵の血天井
癒やしの空間に思える源光庵の「悟りの窓」と「迷いの窓」。
そこでふと天井を見上げると、こんなものが目に飛び込んでくる。
見よ、血に彩られた足跡を!
「血天井」である。
話は400年以上前に遡る。
天下取りまであと少しのところにきていた徳川家康の臣であった鳥井元忠は、家康が会津に遠征しているあいだ、京都伏見にある、かつては秀吉の隠居用の城であり、地震倒壊後、再建された伏見城の守備を命じられた。
これが彼の運の尽き。
家康の留守を狙って小早川秀秋らの軍勢が襲いかかり、城は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。城のいたるところに死者累々。しかもそれらは長時間放置されたために、こうした足跡のみならず、顔面や鎧の跡までが染みついてしまった。
これら死者の霊を弔うため、伏見城の廊下板ははがされ、この源光庵をはじめとするいくつかの寺院の天井にはめ込まれ、日々、読経を受けることとなった。
天井にはめ込んだのは、死者の霊を踏むようなことがあってはいけないからである。
だが、この血天井を見上げると、あるイメージを思い浮かべざるを得ない。
天地逆さになって、この天井を怒号を上げながら駆け回る武士たちの姿である。
なお、伏見城はその後、もういちど再興されたが、ほどなく廃城となり、その跡地に桃が植えられた。現在の明治天皇陵。