「神」に近づく対照的な2アプローチ
吉村達也
(この記事はブログ本体にも同じものをアップしています)
「魔界百物語」の3『幻影城の奇術師』が発売になった。
通常の……という言い方も妙だが、新生・氷室想介の「魔界百物語」が、通常のミステリー的テーマの装い「のみ」で構築されるのは3までである。
4からは、それまで、たんなる「雰囲気作り」にしかみえなかった『陰陽大観』という謎の奇書の重要な側面が徐々に表に立っていく。
それは「神とはなにか」という、人間にとって根本的なテーマをふたつの対極的なアプローチから探っていくもので、たんに小説としての作り物の発想ではなく、作者であるぼく自身の頭の中にあるものの投影でもある。
「魔界百物語」の壮大なテーマはここにあり、それをSEASON1の4『殺人者の舞踏会』と5『QAZ』で、ある程度はっきり出しておくことになる。
ただ、ぼくの頭の中にあることを、小説という形を通してどこまで理解していただけるかどうか、それは読者それぞれのご判断である。
昨年からずっと「しろうとなりに」研究しているふたつの世界のうち、第一のアプローチは「言語」である。
いま手がけている言語は60を超えたが、それは現代の言語にとどまらず、古典ギリシア語、ラテン語、さらにコプト語を経てヒエログリフ、あるいは楔形文字にまで遡ってきた。
旧約聖書にしても、日本神話にしても、最大の弱点は、人間の誕生をあまりにも新しい時期に設定しすぎている点にある。
かつて、ヒエログリフの解読で知られるシャンポリオンは、このことで奇妙な称賛のされかたをする。
シャンポリオンがロゼッタ・ストーンによって(正確に言えば、ロゼッタ・ストーンだけではなく、オベリスクの土台など、他の遺跡に刻まれた銘文との照合の結果)ヒエログリフを解読したのは1822年の9月だが、パリはもちろん、ローマにおける宗教関係者が最も恐れていたのは、ヒエログリフの解読によって、古代エジプト遺跡の年代が、聖書による創世記よりも前に遡ってしまうことだった。
中でもカトリック教会が恐れていたのはデンデラ遺跡で発掘された黄道十二宮図で、学者によっては、これが創世記に描かれているアダムとイブの世界よりも以前につくられたものである、という見解が示されていたからだった。
しかしヒエログリフを解読したシャンポリオンは(詳細は「魔界百物語4」『殺人者の舞踏会』に記述する)、それが考えられているよりもずっと新しい年代のものであると証明した。
シャンポリオン自身は、カトリック教会に迎合する意図はカケラも持っていなかったが、この証明によって、国王や教皇から大絶賛されることになる。
ところが――
上記の功績によって、国王とカトリック教会のお墨付きを得て向かった初めてのエジプト遠征で、シャンポリオンはとんでもないものを見つけてしまう。
黄道十二宮図が新しい年代のものであると断定したヒエログリフそのものが、捏造された資料であったのだ!
以前、『卑弥呼の赤い罠』(集英社文庫)でも書いたけれど、ぼくたち現代人は、いまから1500年ほど前に、ローマの神学者によって定められた「西暦紀元」という物差しによって、大きな錯覚にとらわれることになった。
紀元設定のベースとなったイエス・キリストの生誕が、実際にそのころであったかどうかという問題はこのさい論じない。
それより大きな問題は、そこに西暦の紀元を定めたため、キリスト生誕(いまでは紀元前4年説をとることが多い)以前の歴史が「紀元前」として、いわば「マイナス・カウント」の世界に押しやられてしまったことにある。
ところが実際には、それより2500年以上も前に壮麗なるエジプト文明が展開しており、一方メソポタミアでもかなり高度な文明が発達していた。
それでもなお、学者たちはなかなか紀元前3000年よりも前に遡ろうとはしてこなかった。東ローマ帝国によって定められた世界創造紀元――いわゆる天地創造の紀元が、西暦に換算すれば紀元前5508年頃であることが心理的に影響しているのは、シャンポリオンの例をみても明らかだ。
だが、言語の研究は間違いなく、そうした神々の世界を崩壊させる真実をぼくたちに告げるはずなのだ。
もうひとつ、神の真実に近づく対極のアプローチは、量子力学あるいは素粒子物理学の世界だ。
これは言語と違って、しろうとが手も足も出せそうにない世界に思えるが、これこそほんとうの創世記――つまり宇宙開闢の真実を明らかにする学問であることは間違いない。
ビッグバンの10の-44乗秒後からはじまったとされる力の進化(分化)のうち、「電磁力」「弱い力」「強い力」という三つの力を統合する理論=「大統一理論」までは完成をみた。
残るひとつ「重力」を加えた最終統一理論はまだ誰も完成させていないが、その有力候補のひとつである「超ひも理論」では、それが成立するためには、この世界が3次元でも4次元でもなく10次元の世界であることが必要とされている。
10次元なんて、想像することもできない世界のような気もするが、これをしろうとにも想像可能にする考え方があった。
一本の髪の毛は、どんなに細くても立体――つまり3次元である。しかし、それを遠くで離れてみれば一本の線、1次元にみえる。
それと同様に10次元のうち、6次元分をコンパクト化して無視する形にすれば、3次元に時間軸を加えた4次元の世界にみえる、という、わかったようなわからないような理解の仕方である。
とにかく真の創世記は素粒子の世界に隠されており、それを人間の誕生レベルまで下ったとしても、言語の誕生(=文明の誕生)は、キリスト教やほかの宗教が設定したよりもずっとずっと古いところにある。
すくなくとも、ぼくたち一般人にできることは、西暦なんて馬鹿げた物差しにとらわれるのをやめ、ほんとうは高度な文明人のことを「古代人」などと呼んで軽視する愚かさに気づくことではないかと思う。
「魔界百物語」には、そんな着想がベースにある。