Vol.14

リレーノート⑫ ショートショートと長編の違いはなにか
吉村達也



ショートショートと長編の違いはなにか、と、それぞれの作家にとって問いかけたら、きっといろいろな答えが返ってきて面白いだろう。

おそらく、多くの回答として「オチの切れ味」の重要性が語られるのではないかと思う。あるいは「人物の描き方の濃度」というところに違いをみる作家もいるだろう。

それはそのとおりだが、それらは読者にも理解してもらえる違いだ。

だがもうひとつ、書き手の側だけに感じる決定的な差異を、ぼくはショートショートと長編小説の比較にみることができる。



それは、ショートショートには「映像製作現場的な割り切り」が許され、昔は長編小説もそのノリでよかったのだが、最近の長編小説では(とくにミステリーでは)それが許されない傾向にある、という点にある。



テレビや映画の場合、それがどんなに長尺物であっても、本筋と直接関係のないところまで論理的整合性を持たせる必要はない、という暗黙の了解がある。

一方、長編推理では、どこまでそれを詳しくフォローするかという点に神経をつかうところがある。



たとえば町中にあふれている監視カメラ映像の存在を抜きにしてストーリーを展開しても、本筋が面白ければそれで許されるのが映像作品で、小説ではすぐにツッコミが入る(苦笑)。

凶悪犯人が人質をとって籠城したとき、映像作品なら「トイレはどうするのか」という細かい問題は映像的にもきたないし省いてよいことになっているし、食事の問題さえ描かなくてもいい。

クリスティやクイーンの時代は小説もそれでよかったが、現代の長編小説はそうはいかない(現にぼくの『トリック狂殺人事件』や『王様のトリック』などでは、逆に積極的にそういった問題を取り込んでいるが)。



でも、ショートショートなら映像作品のように、細かいことなしでオチに集中できる。

そういう意味での開放感はあるわけですね。作り手側からすれば。