Vol.15

リレー・ノート⑬ 将棋が好きな二人の名人戦
梶原秀夫(ノアズブックス出版プロデューサー)



暮れも押し詰まり、部屋の大掃除をしていたら、懐かしい写真が出てきました。僕が旅館の浴衣姿で、将棋盤を前にして考え込んでいます。

これはおそらく、鶴巻温泉の旅館「陣屋」に宿泊したときのもの。対局者はもちろん、宿敵・吉村達也です。



もう20年くらい前でしょうか。どうせなら、名人戦が行なわれた旅館に泊まって、将棋を指そう、ということになったのです。二人だけの名人戦です。

吉村さんは、詰め将棋の世界ではプロ級の腕前ですが、指し将棋なら僕といい勝負でした。勝ったり負けたり……。


勝敗はともかく、こうした旅ができたことが、素敵な思い出になっています。

北海道バスツアーに二人で行ったときなどは、参加者はみんな男女のカップルの中、僕らだけは男と男。

「きっと、僕らはホモだちだと思われてるね」

そう言って笑いあったのは、つい先日のような気がします。まさに、光陰矢のごとし。

2011年も残りわずかとなり、部屋掃除から懐かしい写真と再会したことで、いろいろなことを思い出したクリスマスイブです。この思い出は、サンタクロースのプレゼントかもしれません。

魔界百物語2 SEASON Ⅰ「京都魔王殿の謎」発売

魔界百物語2 SEASON I
『京都魔王殿の謎絶賛発売中!
 


吉村達也 書き下ろしミステリー第2弾
 
謎が謎を呼ぶ「魔界百物語」新たな展開へ
この結末は想像を越えている。

定価:本体1,500円+税 / 四六判ソフトカバー・単行本・416ページ

鹿堂妃楚香の予言のとおり、人の手首が山中で見つかった!
京都で起こった奇怪な事件ーー 氷室想介の推理が真相に迫る!

あらすじ

美しすぎる超能力者・鹿堂妃楚香は、自らが主催する京都魔界ツアーで、人の手首が出現すると宣言。
予告どおり女の手首が「猿」の手首とともに、鞍馬天狗ゆかりの山中に建つ「奥の院魔王殿」付近で見つかった。
警察は事件の容疑者を逮捕したが、こんどは嵐山の渡月橋で殺人事件が発生! 
またしても背後に謎の人物QAZの存在を感じながら、精神分析医・氷室想介は、誰もが予想しなかった惨劇のすさまじい真相にたどり着いた!


著者 吉村達也
制作/編集 株式会社 ノアズブックス
発売 株式会社 飯塚書店

カタログNo.2で「プロローグ1」と「プロローグ2」が読めます!

携帯でも読めます!:公式携帯サイト

京都魔界ツアー⑰

⑰「苦」を抜く釘抜地蔵



釘抜地蔵(くぎぬき・じぞう)は、正式名称を石像寺(しゃくぞうじ)という。

前世の罪を背負って手の病に苦しんでいた商人が、地蔵菩薩によって、その手のひらから二本の釘を引き抜いてもらい、苦しみから解放された――

といういわれに従い、いつもここには、なんらかの苦しみを背負った人々が、魔界からの脱出を願って訪れる。



写真は、釘抜地蔵特有の絵馬で、二本の釘と釘抜きがセットになった、かなり手の込んだものとなっている。

Vol.14

リレーノート⑫ ショートショートと長編の違いはなにか
吉村達也



ショートショートと長編の違いはなにか、と、それぞれの作家にとって問いかけたら、きっといろいろな答えが返ってきて面白いだろう。

おそらく、多くの回答として「オチの切れ味」の重要性が語られるのではないかと思う。あるいは「人物の描き方の濃度」というところに違いをみる作家もいるだろう。

それはそのとおりだが、それらは読者にも理解してもらえる違いだ。

だがもうひとつ、書き手の側だけに感じる決定的な差異を、ぼくはショートショートと長編小説の比較にみることができる。



それは、ショートショートには「映像製作現場的な割り切り」が許され、昔は長編小説もそのノリでよかったのだが、最近の長編小説では(とくにミステリーでは)それが許されない傾向にある、という点にある。



テレビや映画の場合、それがどんなに長尺物であっても、本筋と直接関係のないところまで論理的整合性を持たせる必要はない、という暗黙の了解がある。

一方、長編推理では、どこまでそれを詳しくフォローするかという点に神経をつかうところがある。



たとえば町中にあふれている監視カメラ映像の存在を抜きにしてストーリーを展開しても、本筋が面白ければそれで許されるのが映像作品で、小説ではすぐにツッコミが入る(苦笑)。

凶悪犯人が人質をとって籠城したとき、映像作品なら「トイレはどうするのか」という細かい問題は映像的にもきたないし省いてよいことになっているし、食事の問題さえ描かなくてもいい。

クリスティやクイーンの時代は小説もそれでよかったが、現代の長編小説はそうはいかない(現にぼくの『トリック狂殺人事件』や『王様のトリック』などでは、逆に積極的にそういった問題を取り込んでいるが)。



でも、ショートショートなら映像作品のように、細かいことなしでオチに集中できる。

そういう意味での開放感はあるわけですね。作り手側からすれば。

Vol.13

リレーノート⑪ 吉村達也の短編やショートショートは切れ味が鋭い!

梶原秀夫(ノアズブックス出版プロデューサー)




月刊のPR誌で、吉村さんにショートショートを連載していただいていたのは、もうずいぶん前のことになりますね。

京都を舞台にした一連のショートショートは、加筆して長編にアレンジされ、『ついてくる』というタイトルで単行本になり、いまは角川ホラー文庫で文庫化されていますが、そこに使わなかった何本かのショートショートは日の目をみていません。

これが改めて読み返してみると、実に面白い。10年近く前の作品なのに、まったく古くないのです。何らかの形で、世の中に送り出したい、と思いました。


吉村さんの作品には、僕が好きな短編集がいくつかあります。なかでも『それは経費で落とそう』(文庫化の時に『丸の内殺人物語』と改題)と『一身上の都合により殺人』はとても好きなもの。

短編集ではありませんが、角川文庫から発売されている、一連の「ワンナイト・ミステリー」シリーズもいいですね。好きです。


こうした作品群を多くの人たちに読んでもらうにはどうしたらベストか、真剣に考えています。もちろん、吉村さんの了解が大前提ですが……。


こう書くと、ほとんどの人は「電子書籍」と思われるかもしれません。確かに、それも選択肢のひとつですね。

2012年は、魔界百物語シリーズだけでなく、久しぶりに短編やショートショートを読んでみたいな、最初の読者として。

Vol.12

リレーノート⑩ そういえば短編を…
吉村達也



そういえば前回のリレーノートで、梶原さんの文章に「ショートショート」ということばが出ていましたが、懐かしいひびきです。

短編とかショートショートを書かなくなって10年になりますね。

意図的に、そういう方向性にしたんですが、また書きはじめてもいいかな、なんて思いました。

どうですかね、梶原さん。

Vol.11

リレーノート⑨ 海外の取材先でも、夜は原稿書きに徹する吉村達也に驚く!
梶原秀夫(ノアズブックス出版プロデューサー)



旅といえば、吉村さんと海外に出かけたのは、1997年の香港、2000年のシアトルからサンフランシスコ、この2回。

香港返還の話は、旧作の『京都魔界伝説の女』で、吉村さん自身が書いていますので、今回はアメリカの旅の話を少しだけ。




シアトルでレンタカーを借りて、フェリーでオリンピック半島に渡り、目指すはオリンピック国立公園。

公園といっても、町にある公園とは訳が違います。広大なスケール。どれだけ広いかは、きっと吉村さんが解説してくれるはず。


公園内にあるホテルLake Crescent Lodgeの部屋には、電話もテレビもありません。名前の通り、湖畔にたたずむホテルです。



夕食前から、吉村さんは執筆に取りかかりました。乗ってきているのか、夕食もいらない、書き続けたい、と言います。その決意の表われが、ワープロの持参です。

仕方なく、ホテル内に唯一あるレストランでひとりきりの食事。英語はあまり得意でないし、味気なかったなあ……。

なんとかウェイトレスのお嬢さんに無理を言って、鳥料理をテイクアウトして帰ると、吉村さんは一心不乱に執筆。




夜も更けてきたとき、窓を開けると、目の前の庭を鹿の親子がちょうど横切っていきました。これには本当にびっくり。ホテルの庭ですからね。

大きなツインベッドの部屋で、吉村さんは執筆を続行、私はベッドで就寝。

そこへ2泊したのかな。夜はとにかく書き続ける吉村達也でした。



シアトルのホテルで1泊した翌日、飛行機でサンフランシスコに飛び1泊。この2泊は、別々のシングルルーム。このとき、やっと執筆は終了したようです。

次の日は、今回のもうひとつの目玉、ヨセミテ国立公園。ここで2泊して、サンフランシスコに戻って1泊。



僕はヨセミテで熱を出してしまい、吉村さんにひとりぼっちの夕食を味わせてしまったのは心苦しいことでしたが、2つの国立公園への旅は楽しかったですね。

ここを舞台にした、ショート・ミステリーと紀行文をPR誌に発表していますが、これもいつかお見せしたいですね。

京都魔界ツアー⑯

⑯伏見稲荷の千本鳥居
京都の主要観光地は、新幹線・在来線の線路で南北に分けられる京都駅の北側に集中している。

現在の鉄道線路は、九条まであった平安京・東西路の、七条と八条のあいだを走っている。だから古都がらみのビュースポットが駅の北側に集中するのは必然だ。

最高権力者の住まいである内裏(だいり)も、平安京の最北端にあった。

そんなわけで、京都観光といえば、なにかと駅の北側へ目が向きがちだが、南側にも見どころはいろいろある。

その代表的存在が伏見稲荷大社。全国数万の稲荷神社の総本社である。



ここは稲荷山全体が信仰の場所となっており、山頂に向かう参道には、ごらんのとおり朱塗りの鳥居が延々とつづいている。

千本鳥居というが、実際には五千基以上ある。

この朱塗りの中に入ると、なんとも不思議な雰囲気である。



ぼくは四季の中では冬の伏見稲荷が好きだ。最寄り駅から境内に向けて連なる店々の軒先から、スズメを焼いている煙が立ちのぼっているが、それがいちばん似合うのが冬の時期だからかもしれない。

稲荷(いなり)は「稲成り」からきていると言われるように、日本人の主食である稲(=コメ)の豊作を祈願するために秦氏(はたし)がこれを創建したと伝えられる。

したがって稲を食い荒らすスズメは、あわれ焼き鳥のターゲットにされるのであった。スズメにとっては、じつに迷惑な話である。

Vol.10

リレーノート⑧ 日本一まずいハンバーグを食べた仲
吉村達也



梶原さんとぼくは、ときにケンカもしながら、たくさんの本をつくってきました。

ぼくが扶桑社の編集者(編集長になっても最後まで現場仕事から離れなかったので、ぼくは退職時まで現役編集者でした)時代につくった本の総数は180冊ほどですが、その三分の一以上は、梶原さんとのコンビではないでしょうか。

仕事でもプライベートでもいろいろなところへ行きましたが、いまになっては、なんの用事でそこへふたりで行ったのか思い出せない旅行もあります。



それがX島(差し障りがあるので仮名にしておきます)への旅。

山田洋次監督が映画に好んで使いそうな、超レトロな映画館があったり、赤い郵便丸ポストがあったりと、とにかく時代の流れから取り残された風景があふれる島でした。

でも、ちゃんと飛行場はありました。「空港」というより「飛行場」という印象です。

そこで帰りの飛行機を待っているとき、かなり腹が減っていて、「なにかここで食べていこうか」という話になったのですが、とにかく空港内のレストランが、ただごとではないうらびれ方で、どんな料理が出てくるか、わかったもんじゃない、といった雰囲気。

「こういうところで高いメニューを頼むほどバカなことはないよね」と、話しながら、しかし安いメニューもどうも怪しげ。

そこでふたりの出した結論は「ハンバーグにしよう。ハンバーグだったら、たとえまずくたって、たかが知れてる」「そうだね。とりあえず腹がふくれればいいんだから、ゼイタク言わずに」「まさかハンバーグで大はずしはないでしょ」……ということで「ハンバーグ定食、ふたつください」



そして運ばれてきたハンバーグを口にしたとたん、ふたりとも絶句!

ぼくたちはふたりとも三十代で若かったから、べつに舌が肥えてるグルメ評論家だったわけじゃありません。とにかく腹がふくれればそれで満足といったレベルでしたから、まずい料理への適応能力も高かった(笑)。

でも、まずぼくがギブアップしました。

「だめだ、食えない、これ」

そして梶原さんも。



少なくともプロの調理人が作っているのに、食えないほどまずいハンバーグというのは、国宝ものの貴重さです。それでいて、ふたりとも気が弱くて、文句のひとつも言えずに、お金だけ払って飛行機に乗りました。

いまでもふたりの語りぐさです。



あのあと、ぼくは作家になってからひさしぶりにX島へ飛行機で降り立つことがありました。空港はずいぶんきれいになっていました。レストランも変わっていたし、当時のコックさんが残っているはずもないでしょうが、トラウマは消えず、ハンバーグを頼んでみようか、という勇気は出なかったのでした。

vol.9

リレーノート⑦ 書籍編集長がプロデューサー吉村達也の原点
梶原秀夫(ノアズブックス出版プロデューサー)



吉村さんがニッポン放送から扶桑社へ出向されて、ふたりでいっしょに作った最初の本は確か『松田聖子 愛にくちづけ』だったんじゃないかな。当時、制作会社の編集者だった僕がお手伝いしたと記憶しています。発売は1984年1月です。

その翌年、吉村さんは編集長になって、とにかくたくさんの本を一緒に世に送り出しました。

何と言っても忘れられないのは、オールナイトフジの『私たちはバカじゃない』から始まる一連のテレビ・ラジオの番組から生まれた出版物です。三宅裕司のヤングパラダイス編『恐怖のヤッちゃん』、フジテレビの『ぜーんぶおニャン子』、ニッポン放送の『究極の選択』、『10回クイズ』……などなど。

そして、『ぜーんぶおニャン子』が売れに売れて、僕は扶桑社と出版プロデューサー契約を結ぶことになったのです。それからは、吉村さんが扶桑社を退社するまで、本当にいろいろな本を一緒に作りました。



当時の編集部は吉村編集長のもと、外部の契約プロデューサである僕と、編集部員が4人くらいかな。ユニークな編集部だったと思います。

当時の編集部員から、吉村さんのほかにも作家が2人生まれているのも不思議です。一人は五十嵐貴久、もう一人は白崎博史。五十嵐貴久はペンネームですが、彼がまさか作家になるとは思いもよりませんでした。

白崎くんはユニークな発想をする編集者でした。彼は今、映画『はやぶさ』のシナリオを書いたり、数多くのノベライズを世に送り出しています。

編集者としては、磯俊宏くんが優秀でしたね。彼と僕はおニャン子本など、一連の番組本を数多く一緒に作りました。今は、メディアファクトリーで書籍部の編集長です。



こんな個性的な編集者の集まりを束ねていた吉村編集長ですが、ラジオマンから編集者へ転身されて、苦労も多かったんじゃないかな。

毎週の企画会議は当然として、、編集長自らがスケジュール表を作っていましたね。真面目な編集長という印象でしたが、編集部内では最も仕事をしていたように思います。

僕はつい、みんなを連れては酒を飲んだりしてばかり。吉村編集長は自らも編集担当者として本を作りながらも、会社の会議、グループとの折衝などなど、ほんと、よく働いていたという印象しか残っていません。

たまに、二人で食事をすることがあっても、いつも仕事の話ばかりしていたように思います。よくファミリーレストランで深夜に食事をしたのを思い出します。



言い合いをしたことも何度かあったけど、いいコンビだったですね。だから、いまでも企画の話になると、ついつい昔のように盛り上がってしまいます。作家と編集者という垣根がなくなってしまうと感じているのですが、どうなんでしょうか……。

来年は、時間が許せば、面白い企画を実現したいと思っています。ねえ、吉村編集長!

Vol.8

自分とは別の自分  リレーノート⑥
吉村達也



梶原さんが前回のリレーノートで書いたように、たしかにぼくの中には、吉村達也という作家を客観的にみている「所属事務所の社長」あるいは「担当プロデューサー」としてのもうひとりの自分がいますね。

ただ、執筆中は純粋に作家です。作品と取り組んでいるときは。作品がいかに面白いものになるかだけを考えているので、公的にも私的にも、まったく社会性はなくなります。

睡眠時間は執筆の進行具合によって決められるため、生活サイクルはめちゃくちゃになるし、作品の世界に入り込んだら、一週間も二週間も郵便物を開封しなかったり、郵送されてきた出版契約書をすぐ紛失したり(いかんな)、もうそういう事務的なことが一切できなくなります。

現実世界の出来事に触れたくなくなるんです。

すべてが執筆最優先。

ぼくを作品の世界から表に引きずり出さないでほしい。実社会という名の太陽に当たったら、ドラキュラのように身体が溶けてしまう。それぐらいの気分。



長いつきあいの梶原さんは、そういうぼくの欠点を知り尽くしていながら遠慮して書かなかったみたいなので自分で言いますが(笑)、仮想世界に入り込んだら、ぼくは容易なことでは現実世界に出てきませんよ、天岩戸にとじこもった天照大御神みたいに。



もちろん気分転換はします。遊びます。でも、映画を見たり、野球や芝居を観にいったり、山歩きをしたりという時間があったら、もう少し社会的なことをちゃんとしたらどうか、という自分がいないわけではないんだけど、そんな事務的にきちんとせよという声を聞いてたら、作家はできませんね。

まあ、そういうデタラメな自分をあえて許している「プロデューサーとしての自分」が、いるっちゃー、いるんですが。

それと、奥さんが文句も言わずに支えてくれているので、とってもありがたいです。大変だろうな、とは思います(笑)。笑ってる場合じゃないかもしれませんが。

この人と結婚していなければ、いまの自分がないことだけはたしか。超・感謝!



一方、企画の打ち合わせでは、梶原さんが言うように、おそろしく客観的な自分がいまして、ここの部分はいつになくマジメなんです。そのときのプロデューサーとしての吉村達也は、作家・吉村達也のことを「たかがウチの選手」(©ナベツネ)程度にみているんで、吉村達也という人に対してきびしいことをビシビシ言いますね。

吉村達也に対してもっともきつい言葉を浴びせるのは、事務所社長の吉村達也ですね。




けっきょく、志垣警部や和久井刑事が「ダメおやじ」や「軟弱青年」といった側面と、推理の切れを見せるプロの捜査官という両方の側面を持っているようなものでしょうか。

復活した氷室想介が、以前ほど完全無欠のイメージではなく、気の弱いところも出すときはモロに出すようになったのも、ぼく自身のそういう二面性を投影しているからかもしれません。


……いやいや、ぼくは氷室先生ほどマジメではありませんが。



でもね、そういう使い分けができないと、作家という商売の精神衛生は健全に保たれないんですよ。

昔の文豪でナーバスゆえに自殺までいってしまった人とか、現代でも深い悩みに突入する方がいらっしゃいますが、人格はひとつしかないと思い込んでいるところに無理があるんじゃないんでしょうかね。



それは二重人格を肯定するというのではなく、他人が抱くイメージに自分の核心部分がふり回されることはない、という意味です。

これは作家にかぎらず、誰にでも言えることですね。真の人格は他人にはわからない。ほんとうに自分に近しい人にしかわからないんですから、核心部分でマジメであれば、テキトーな人格によって自分をゆるめてやる必要はとってもあると思うのです。

氷室先生も、最近そのあたりに目覚めたそうです(笑)。



あ、そうそう、語学に取り組んでいるときの自分だけは、自分でもこんなに勉強家だったのかと思います。これは、ことしの意外な発見でした。